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理事たちの想い(インタビュー記事掲載)

文責: 森賀 優太

松本理事
吉野理事

松本理事

森づくりを通して人の輪を広げていく

吉野理事

人と森との関係を再構築していきたい

園田理事

園田理事

一緒に対馬の森を守っていきたい

細井理事

細井理事

森の多様性を支えていくことで海に恩返ししていきたい

森田参事

森田参事

自分ができることはやり遂げていきたい

松本理事
松本理事

松本辰也

対馬もりびと協同組合 代表理事 / 対馬木材事業協同組合 代表

 

「森づくりを通して人の輪を広げていく。」

 

山主を見つけるところから、木を切り出し、チップに製材。エッセンシャルオイルの制作に、林業体験ワークショップと一言に「林業」とする対馬木材事業協同組合の松本さん。そんな彼は林業の六次産業化にトライし続けている。次の取り組みとして、人の手が入らなくなってしまった「非経済林」を活用する新たな事業に挑戦している。

 

対馬市厳原町出身。鹿児島の大学へ進学、大学卒業後はメーカーの営業職として勤務。転勤族として全国を飛び回っていた中で、いつからか対馬に戻りたいという気持ちがあったし、30代後半になる頃には転職希望もあった。そんなある日、対馬でチップ製材会社に勤めていた父親からの連絡を受ける。

 

「父親が木材をチップに加工する島内の製材会社に勤務していました。そんな父親から私が「対馬に戻るなら、チップ製材の事業を一緒に始めないか。」という誘いがありました。対馬に戻りたいという気持ちもあったので、対馬に戻って父親と事業を始めることにしました。」

 

対馬に戻ってきて、一番に故郷の懐かしさや人の温かさを感じた。生活の面では、都市部に比べて対馬は不便だと感じることもあった。それでも、慣れてしまえばなんとも感じなくなった。それ以上に、対馬の中で何でもできそうな可能性を秘めた環境であることに惹かれていた。

 

「今もですが、本土から戻ってきて、対馬は良い意味で「遅れている」と感じていました。本土と離れているからか、対馬はまだまだ古い社会が残っていて、地域を引っ張るプレイヤーが少ない。何かをするにも、インターネットで情報をとって、本土から専門家を呼ばなきゃならない。けれど、自分たちが専門家になって、事業を行っていくことができる。林業だけではなく、農業や飲食業、なんでもできる環境が目の前に広がっていることにワクワクしました。ただ、まずは林業に腰を据えて、地に足つけて事業を行うことにしました。」

 

林業という世界に踏み込み出すと次第に林業の課題が見えてくるようになる。対馬の人工林の半分は林業事業者によって活用されている。一方で、残りの半分は誰にも手をつけられていないため、暗く荒廃した状況にある。また、以前のように子どもたちも地域の人も森に入ることもなくなり、人と森の関係が希薄になっていることもわかってきた。

 

「荒れた森を見かけると悲しくなります。けれど、森を手入れするには、山主にも林業事業者にも予算がないと誰も手を入れていくことができない。私たちが非経済林化した森の中でできることが多くありませんでした。」

 

そんな中で、対馬もりびと協同組合を一緒に立ち上げてくれる吉野さんとの出会いがあった。吉野さんとはインターンの受け入れやエッセンシャルオイルの開発を共同で行った。彼とは対馬の森が放置されていることや非経済林化した森を活用していくことで方向性が一致。対馬もりびと協同組合を立ち上げることとなった。

 

「対馬の放置された森を活用するために、私たち対馬木材産業の持つ林業の知識や技術だけではなく、吉野さんたちが持つ情報発信や販売能力が必要だと考えました。それでも2社だけで行っていくのではなく。私たちの見本としての林業スタイルを完成させている自伐林家の園田さん、コミュニケーション能力が高く、漁業者でありながら山への情熱がある細井さんを仲間に加えて、それぞれができることを補完する形で事業を行っていくことにしました。」

 

林業事業者だけではない。地元出身者、移住者、コンサルタント、漁師、自伐林家と個人の輪、多様な輪を広げていく。多様な人たちと一緒に、森というプラットフォームを整えることで、人と森の関係性を再構築していきたい。さらに、人と森の関係性だけではなく、森という人の拠り所を活かして、人と人との関係性の再構築を目指す。

 

それに、非経済林を活用するにはマンパワーだけではなく、お金も足りなかった。本当は補助金も使いたくなかった。それでも非経済林化した森を守るためには限界が見えていたが、決断。マンパワー不足も島内外の人たち、林業事業者以外の人たちと共創していくことで補完していく。「豊かな森」というインフラを維持していくために踏み出していく。

 

「対馬島内で森に関わる人を増やすことは大前提として、島外の移住者とも一緒に対馬で林業をしていきたいです。非経済林の活用としての林業事業者の育成、森林サービス産業、地産産業と全部が全部できるとは考えてはいません。それでも、非経済林の活用の可能性を全国に広めていきたいと思っています。そして、対馬の課題、林業事業者の課題、地域の課題とまとめて解決していきたいです。」

 

人同士や人と森とが交わることができる森のモデル事例として、既に一つの森を整備している。 整備をしたことで、陽の光が心地よく、緑が映える森の中でたくさんの人が遊んでいる様子をイメージできた。100年後の対馬で、島内外の人から愛され、ふらっと立ち寄りたくなるような森を作っていきたいと想いを馳せる。

 文責: 森賀 優太

吉野元

対馬もりびと協同組合 専務理事 / 一般社団法人MIT 代表理事

 

「人と森との関係を再構築していきたい。」

 

 一般社団法人MIT(ミット)のMITにはそれぞれの意味がある。Mはみつける。Iはいかす。Tはつなぐ。MITは多様な対馬の主体を見つけ、それぞれが活躍できるように共創相手や場所を繋いでいくような「触媒」としての働きを目指している。土着型のシンクタンクとして、多様な主体を横断的に繋いでいこうと試みる吉野さんがどうして森づくりに挑むのか。

 

 東京から対馬に移住し、MITに入社してからは地域事業者と島外の大学とを繋ぎながら対馬島内の課題解決を図っていく域学連携事業のコーディネーターとして活躍してきた。MITという会社としては、稲作を中心とした人の暮らしと絶滅危惧種であるツシマヤマネコの暮らしとを共存させようと試みる米農家さんと一緒に佐護ヤマネコ稲作研究会の事務局を担ってきた。また、磯焼けの原因になっている食害魚を食材として活用している丸徳水産の「そう介プロジェクト」を裏方からサポートしてきた。

 

 「プロジェクトをご一緒した事業者の方々からは、MITが裏方としていたからこそうまく回っていると話してくれることが嬉しく、活動のモチベーションになっていました。」

 

 MITが立ち上がってからは、教育分野や里と海と分野で活躍する主体を横断的に繋ぎ、それぞれの課外を解決するために共創していくことは、まさに触媒として機能していた。森の分野においても、林家さんや森林組合と関わる機会の中で、対馬の森が抱える課題の輪郭が少しづつはっきりとしてきた。

 

 「対馬の89%を森が占めているとされていますが、森という資源が放置されていることはずっと気になっていました。人の手が入らず、対馬の森はもやし林となっていたし、増えすぎた鹿によって下草は食べられ、萌芽更新が鹿によって阻害され、森が再生しない現状にありました。加えて、食害によって裸地が広がったことで、土砂が海に流れることで、原因にもなっていました。どうにか関わりたいとずっと思っていましたが、どのように関わることができるのか、わからない状態が数年続いていました。」

 

 吉野さんとしても、MITとしても関わりたい気持ちはあった。けれど、森に関わるための専門的な知識が少ないという壁に直面した。加えて、想いを持った人と共創するからこそ力を発揮できるMITにとって、活路を見出してくれる人との関わりも多くなかった。そのため、森への一歩をなかなか踏み出せずにいた。

 

「事業者としての森との関わり方は林業と獣害対策しかなく、誰でも簡単に関われる状況ではありませんでした。また、土地の所有者が不明だったり、森の魅力を説明できるガイドがいなかったりとMITだけでは太刀打ちできない課題がありました。」

 

 そんな中、エッシェンシャルオイルの開発が、吉野さんが森に入る一歩を踏み出すきっかけになる。対馬材の活用を目指す、対馬木材事業協同組合で代表を務める松本さんと出会う。松本さんは林業を生業としている森の専門家だ。吉野さんと松本さんの共同開発によって対馬産の木材を用いたエッセンシャルオイルが完成。商品開発を伴走していく中で、「対馬の森に関わる人を増やしていきたい。」と松本さんと意気投合。その他の事業者と共創していく形で対馬もりびと協同組合を立ち上げることになった。

 

 「広葉樹林や非経済化した針葉樹林のように、森を切る人が少なくなっている現状が対馬にはあります。だからこそ、木を切る人を対馬もりびと協同組合として育てていく必要があると思っています。また、森との関わり方は多様にあると思っていて、副業や兼業、遊びの場や癒しの場のように多様な人がちょっとずつ広く関わる仕組みを作っていきたい。それをMITが繋いでいく。そして、人と森との関わりを再構築していく中で、対馬の森に新しい価値を見出していきたいと思っています。」

 

 吉野さんは対馬もりびと協同組合を中心に、対馬の森と島内外の主体たちの「やりたい」を繋いでいく。それぞれが繋がり合うことで発生する化学反応の可能性にわくわくする。

 

文責: 森賀 優太

吉野理事
園田理事

園田益也

対馬もりびと協同組合 / 自伐林家

 

「一緒に対馬の森を守っていきたい。」

 

 園田さんが頻繁に口にする言葉がある。それは、「森を守りたい。」というものだ。自らが山主であり、森に入って木を切っている自伐林家である園田さんはどうして森を守りたいと思うのか。

 

 中学までは、地元である対馬市浜久須町で過ごした。高校は地域の農家の長男たちが諫早の農業土木学科に進学していたので、それに倣って進学。高校卒業後も島外の会社に就職。21歳までは広島、島根で暮らしていた。島外に戻ってくるきっかけになったのは家族からの誘いだった。

 

「農家の長男だからいずれは対馬に帰ってこようとは思っていたんだ。そんな中、祖父の代から原木椎茸の栽培と乾燥椎茸の販売をしていて、拡大するから手伝って欲しいという誘いがあった。だから対馬に戻ることにしたんだ。今考えるとその時の椎茸の相場は良かった。けれど、そのうち、安価な外国産が輸入され始めたことによって、私たちの生計が成り立たなくなってしまった。だから、島内の海運会社に転職したんだよ。」

 

 椎茸農家を辞めて転職しようとしているという噂が地域を巡った。すると、知り合いだった島内の海運会社からの誘いがあり、転職。61歳で退職するまで、上対馬営業所の営業職として働いた。20年弱働くなかで、営業業務だけではなく、陸上配達の業務、作業車や大型トラックの運転となんでもやった。これが園田さんにとって良い経験となった。

 

「海運会社に勤めている時に自伐林業が自分の山を自分で切ることだってうっすらと知っていたから、映像媒体でどうすればできるのかを勉強していたんだよ。映像では、自伐林業が小さな林業と言われるだけあって、チェーンソーを使えて、ユンボや2tトラックが運転できれば、自分でやっていけるようだった。僕は椎茸農家でチェーンソーを使っていて、海運会社でユンボとダンプを運転していたから、自分でできるって。」

 

 これまでのあらゆる経験が「自伐林業は自分でできる範囲だ」という自信になった。加えて、海運会社に在籍している時に森林組合に委託する形で山を皆伐したことがあった。すると、その際に生活できる以上の収入になったこともあり、自伐林業で生活していくことができることがはっきりとわかった。そんなこともあって、5年から10年の期間をかけて、木を切って生活していくことに決めた。

 

 その後、海運会社の退職金を元手に作業車を購入。自伐林家としての1歩を歩み出していた中、西日本を中心に豪雨被害に伴った山林崩壊が発生する。各種報道番組では、山林が崩壊した要因として、大規模な開発よって森の防災機能が失われる危険性があることが報道されていた。これを見た園田さんは、大規模な間伐や大規模な作業路を入れていくような「大きな林業」に対する恐怖を感じるようになる。

 

「間伐や作業路を入れると風が当たる木は倒れやすく、倒れた木のそばから土も流れていきやすくなる。特に、対馬の森は鹿や猪が増えすぎているから、下層植生どころか、天然更新が阻害されていて、全伐をしてしまうと禿山となって行ってしまうんだ。すると、森の防災的な機能な面でも見た目の面でも悲惨な状況になってしまう。森を守るためにそれは防いでいかないといけないと思っている。」

 

 それぞれの森に適した形で林業を行っていきたい気持ちが強い。そうしなければ、将来の対馬の人工林の半分が禿山となり、自然を楽しむことができない、悲惨な姿になっていくのではないかと危機感を募らせる。それに園田さんにとっての森は先祖が残したものというだけではなく、園田さん自身にとって、働く場あり心を癒す場でもある。

 

「森に入るのが好きなんだ。作業するまでは倒木や枝が落ちていたりで、歩きづらい。けれど、人の手が入れば、作業路ができて、整理整頓される。それに薄明るいくらいの光や心地よい風、湿気になる。普段は、間伐の計画や見回りのために森に入るんだけれど、森が綺麗になっているだけで、森の中を通ることが楽しくなるんだ。」

 

と笑顔で話す園田さん。園田さんの中には対馬の森を守っていくという熱い想いがある。まずは、間伐した1箇所をもりびとメンバーと一緒に対馬の植物園として、皆伐した1箇所をツシマヤマネコやミツバチにとって適した樹種を見つけていくための多様な森として植樹する予定だ。それだけではなく、誰でも楽しむことができ、誰でも関わることができる森を作る予定だという。

 

また、対馬もりびと協同組合では、理事の1人として、森を守ることができる人材の育成にも力を注いでいく。林業事業者を育成するだけでなく、漁師であっても、親子であっても、森に関わりたいと思う人にも。大きな枠組みとしての「もりびと」を増やしていくために、理事である園田さんが森のことや林業のことを伝えていく役割を担う。

 

「僕は山主でもあり、自分で木を切っている自伐林家だから、山を持っている人に対して、山のことだけではなく、自伐林業のことを伝えていく役割があると思っている。それに、一林業事業者として、対馬の森を守っていくために、対馬の森のことを知っている限りのことを伝えていきたい。だからこそ、他のもりびとや地域の人と一緒に対馬の森を守っていきたいと思っているよ。」

 

これから島内、島外の人が一緒に作る森で、人だけでなく、ツシマヤマネコをはじめとする多様な動植物たちが暮らす森を歩くことができる将来が楽しみで仕方がない。

文責: 森賀 優太

細井尉佐義

海子丸 船長 / 対馬もりびと協同組合理事

 

「森の多様性を支えていくことで海に恩返ししていきたい。」

 

 対馬島内で一本釣り漁師をしている細井尉佐義さん。海を仕事場にしている彼がどうして森に関わるようになったのか。

 

 幼いころから森や海で遊ぶことや釣りをすることが好きだった。同年代の子達がテレビゲームファミコンに夢中になっている頃、細井少年はうなぎ釣りや鳥を捕まえるためのくくり罠に夢中だった。そんな彼は就職のために上京。5年間勤めたのちに退職し、自然環境保全のレンジャーを現在も多く輩出している専門学校へ進学する。そして、在学中に屋久島へ課外研修に行ったことが、細井さんが漁師になることを決意したきっかけになった。

 

 「屋久島では一本釣り漁を生業としている漁師さんの船に乗せてもらった。彼はその当時の漁師なら海にポイ捨てするタバコを携帯灰皿で持ち帰っに捨てたり、釣り針がにかかったカモメを可哀想だからと丁寧に外したりする人だった。僕はその人から生き方を教わったような気がしたんだ。」

 

 そこで漁師になることを決意したものの、専門学校の卒業後はすぐには漁師にならず、神奈川の森林奥にある国民宿舎に就職した。薪割りや雪かきから始まる生活に自然の厳しさを感じながら、「生きていく」ということはどのようなことかを実感したし、森の豊かさに心を落ち着かせることもあった。

 

 「漁師になる前に森の勉強がしたいと思っていた。環境は繋がっている。これから職場になる海と森がどのように繋がっているのか。どのように森が海を作っているのかを身をもって知りたいと思ったんだ。」

 

 細井さんの森への関心は対馬に移住してからも消えることはなかった。一方で、対馬の森の多様性が失われつつあることに危機感も抱いていた。人口が減少したこともあり先代が植えた人工の針葉樹林に人の手が入らなくなり、暗い森の中では下層の植物が育たない。広葉樹の森は、薪や炭を使わないために放置され、こちらも人の手が入らないので、単調な森に。しいたけの原木(コナラやアベマキ)を切った後の切り株から生えてくる芽も、増えすぎた鹿に食べられ枯死してしまう。ってしまったと同時に、鹿による食害が顕著になった。そのため、人が里山から離れることで、管理ができず、対馬の森から多様性が失われつつある現状である。

 

 「森の中の生きものの多様性や生態系が保たれていることで、栄養分に富んだ海になる。僕たち漁師はその海で育てたものを獲って、消費している消費者なんだ。だからこそ、自然に敬意を持ち、恩返しをしていくために、森の多様性を支えていきたい。」

 

 細井さんの言葉に熱がこもる。移住当初は時間や経済的な余裕がなく、なかなか森づくりに関わることができなかった。また、周囲の人から対馬の森が伐期を迎えて、以前よりも面白く無くなってきていると聞いていたこともあって、よりもどかしさを膨らませていた。しかし、近年になって、森がリトリートやアクティビティの場所として注目を集めながらも、防災機能や生物多様性と森の重要性が再認識されてきている。加えて、同じ方向に向いて、やりたいことを具体化してくれる仲間たちにも出会えた。これは対馬の森に関わるチャンスだと対馬もりびと協同組合として、森に関わることに決めた。

 

 「僕にとって海は職場で、森は非日常であり、心を豊かにできる場所。それだけで価値がある。その森の豊かさが失われているからこそ、対馬もりびと協同組合では、見た目も実質的にも多様な森を自分たちの手で作っていきたい。そして、島民の人たちに海と森がある対馬の良さを再認識してもらうためにも、森を使った遊びや教育を仲間たちと協力しながらやっていきたい。」

 

 経済的な目標ではなく、心を落ち着かせることができるからこそ関わる森づくり。海を職場にしているからこそ、森の多様性を支えたい。そして、木の一生に関わりながら、自分が植えた木が将来の世代たちを森に惹き込んでくれたらと話す細井さんの姿は眩しい。

文責: 森賀 優太

細井理事

森田雄大

対馬もりびと協同組合 参事/ShopBot マスター

「自分ができることはやり遂げていきたい。」

 

新たな挑戦の場所として約20年ぶりに故郷の対馬に戻るという選択をした森田さん。彼の肩書きには対馬もりびと協同組合「参事」と「ShopBotマスター」の2つが並んでいる。これからは、デジタルデータから木材を加工する機械「ShopBot」を駆使しながら、対馬の木材を使ったものづくりを通じて、とその源泉にある対馬の森に関わっていく。そんな森田さんが向かう先には、どのような人がいるのだろう。

 

長崎県対馬市出身。高校卒業までは対馬で過ごしたのち、東京で就職。その後すぐに退職し、福岡で再就職。福岡、熊本と拠点を移しながら生活してきた。対馬にいつかは戻ろうと思っていた矢先、離婚やライフステージの変化を経験したことで、島外で暮らす理由や自身の幸せに対して問いを持つようになった。自分らしく、幸せに暮らしていくことを考え抜いた末に、対馬へ戻る選択をする。

 

「対馬は好きです。ただ、高校卒業後は、当ても目標もなく地元から離れたいと思っていたので、島外で働くことを選びました。けれど、東京や福岡のような都会で働いていてもゆっくり休むことができず、どこか孤独感がありました。一方で、対馬に帰るたびに島の人が色々と世話を焼いてくれて、家族や同級生、地域の人との繋がりや暖かさを感じていて。心を落ち着かせながら自分らしく暮らしていくことができるのは対馬だなと。それで対馬に戻ることに決めました。」

 

一度は離れたからこそ感じる島の暖かさに動かされた森田さん。「ただのんびりしに対馬に戻るのではなく、Uターン者としての視点から対馬に刺激を与えていきたい。」という想いが強く、対馬の発掘されていないポテンシャルに可能性を感じ、ものづくりに挑戦していくことに決めた。

 

「元々、ものを作るのが好きなんだと思います。ハイテクなものよりも、手に取った時に感じられる木の温かみがあるから、木工が特に好きだと感じています。けれど、僕には技術がなくて、実家のポストを木で自作したことがあるんですが、ビスだらけにしてしまって。」

 

森田さんはものを独学で作るという難しさがあったと話す。技術もなく、作り方も知らない中で、大きな壁に直面した森田さんは松本さん(対馬もりびと協同組合 代表)に相談。松本さんからは木工職人さんを紹介してもらい、職人さんの技を間近で学んだ。職人さんが持つ自分が作りたいものを作ることができる技術に、自分の技術力を深めていくことへの面白さを感じた。また、自分が作りたいと想像しているものを作ることができた時の達成感が、木を使ったものづくりに森田さんを惹きこんで行った。

 

木工の面白さを体感している時に、職人さんを紹介してくれた松本さんの会社で木工職人を探していた。森田さんは「まだ木工できないですけど、応募していいですか?」と松本さんに話したことが大きなきっかけとなり、対馬もりびと協同組合に参加することになったと振り返る。

 

「僕は森について詳しくありません。森に入って木を切りたいとも思わないです。けれど、対馬もりびと協同組合の構想を聞いて、非経済林を活用していくことや、ツシマヤマネコと共生していく森を作ること。そして、対馬産の木材を材料におもちゃや家具を作ろうとしていることにワクワクしました。それだけでなく、この構想を実現させることができれば、対馬の森を守るだけでなく島内に雇用を生み出していくことができることも魅力に感じました。なので、本気で事業に関わる参加することにしました。」

 

対馬もりびと協同組合では、木を切り、材として加工販売するだけではなく、木工製品の開発、販売を目指していく。その中で、森田さんは組合の参事として組織運営に関わるとともに、自らShopBotマスターとして、木工製品の開発と制作の部分を担う。

 

「「匂いがいい!」と木のおもちゃを手に持って楽しそうに遊んでいる子ども供達の姿を見ていると、僕が木工でおもちゃを作れば、より多くの子ども供達を喜ばすことができます。それに、ShopBotを使って作業ができるので、自分の手で作ることができるものが増えていきます。そのことにワクワクしていて、将来的には木工教室を開きたいとも思っています。まずは対馬の木を活かして、多くの人に手に取って木の温かみを感じてもらえる木工品ものを作っていきたいと思っています。」

 

森田さんが作る木工製品はすでに多くの事業者さんや人を笑顔にし、森を豊かにしている。これからはより森田さんから目が離せない。

文責: 森賀 優太

森田参事
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